すべてはここから始まりました
11月28日、日本補聴器株式会社(後のワイデックス)創業。補聴器の輸入・販売を開始する。
事務所兼店舗を東京都千代田区神田駿河台に構える。社員は3名。当時は補聴器を取り扱うお店はほとんどなく、東京に自社を含め2社、大阪に2社、香川に1社ほど。
【日本のできごと】
・第1回「耳の日」(日本耳鼻咽喉科学会、日本医師会などの主催)
・日本が国際連合に加盟
東京タワー完成まであと2年。テレビがまだ珍しかった時代から、補聴器を取り扱っていた。
・1959年に社名を「日本補聴器販売株式会社」に改称
・1961年に事務所兼店舗を東京都中央区銀座へ移転
・1964年にデンマークの補聴器メーカー、ワイデックス社の総代理店となる
【日本のできごと】
・1960年、カラーテレビの本放送が開始
・1964年には東京オリンピック開催、東海道新幹線や首都高速道路が開業
高度経済成長期と呼ばれる時代の真っただ中。会社としても大きく変化した時代であった。
・1976年に横浜店(現在のブルーム横浜東口店)をオープン
・1978年、東北初進出となる仙台店をオープン
【日本のできごと】
・1970年に日本万国博覧会(大阪万博)が開催
・1974年、日本でコンビニエンスストア第1号店が開店
・1979年にウォークマンが発売され、音楽を持ち歩く時代に
【補聴器の歴史】
1983年にロナルド・レーガン大統領が補聴器装用を公表し、堂々とメディアに出ることで補聴器に対するネガティブなイメージが一変。補聴器の普及が進むきっかけに。
日本では新生児聴覚スクリーニングの研究が進みはじめた頃。同時に高齢化社会を背景に、加齢性難聴や騒音性難聴への関心も高まった。
1982年に発売されたワイデックスのGシリーズの耳かけ型補聴器
【補聴器の歴史】
1991年に世界初のデジタル補聴器が発売され、アナログからデジタルへ、補聴器の大きな転換点となった。
1995年、世界初のフルデジタル耳あな型補聴器SENSO(センソ)をワイデックスが発表。これは『人類の幸福に貢献する記念碑的製品』として、スミソニアン博物館に展示された。
デジタル回路の小型化は難しいと言われていたが、耳の穴にすっぽりと収まる大きさにすることに成功。補聴器界に革命をもたらしたと言われている。
・2001年、日本補聴器販売株式会社が「ワイデックス株式会社」へ社名変更
・2003年にハーモニー補聴器株式会社が設立
HOYAヘルスケア株式会社から補聴器事業の営業権を取得し、17店舗の営業を開始する。
【日本のできごと】
・2001年に東京ディズニーシー、ユニバーサルスタジオジャパンが開園
・2003年には地上デジタルテレビ放送の開始
「ブルーム」の誕生!
ワイデックスの小売部門とハーモニー補聴器が合併し、アクティブヒアリング株式会社に。
ここからブルームブランドが始動する。
bloomの意味は「花が咲く」。
きこえに不安を感じている方に、つぼみが開花するように「楽しく、自信に満ちた、元気な人生を過ごしてほしい」という願いが込められている。
商号をブルームヒアリング株式会社に改称。
お店のブランド名「ブルーム」に合わせたものに変更。
日本の年間補聴器出荷台数は前年の2012年に初めて50万台を突破し、2013年には初めて総出荷金額が300億円を突破した。(一般社団法人日本補聴器工業会より)
少子高齢化が進み、補聴器を必要とする方がより増えていることが窺える。
【補聴器の歴史】
日本の補聴器メーカーが世界で初めて「リチウムイオン充電式」補聴器を発売。
補聴器の電池はとても小さいため、細かい作業が苦手な方や小さい物が見えづらい方にとっては、電池交換は難しいものでもあった。その後、充電式の補聴器はどんどん開発・発売され今では当たり前の機能として定着した。
株式会社ベストサウンドと合併し、31店舗を継承。
Signiaブランドの取り扱いを開始。
【日本のできごと】
・新型コロナウイルスが流行
・藤井聡太さんが史上最年少タイトル二冠達成
ブルーム創業70周年を迎える。
2月には、岡大医学部前店を新ブランディングデザインを踏襲した店舗に改装・移転。
その後西大寺店、博多駅前店も同様のデザインに改修・移転を行っており、ブルームは今後も新しい老舗として歩き続ける姿勢を示している。
8月には「きこえのパートナー」に気象予報士の舩橋沙貴さんが就任。難聴・補聴器について世間に広く知ってもらうための新たな取り組みを開始。
時間旅行おつかれさまでした
1956年から2026年。
補聴器は変わりました。
ブルームも100店舗を超える規模となりました。
しかし、一人ひとりの「きこえ」に向き合うという信念は変わることなく受け継がれています。ブルームはこれまでもこれからも、お客様のそばにあり続けます。